足の小指と砂漠の缶ジュース

普段は滅多に意識しないんだけど、タンスの角に足の小指をぶつけた時に足の小指の存在に気づかされる。どうもしっくりこないな、歯のほうが例としては適切かもしれない。歯が痛くないときは歯の存在なんて忘れてるんだけど、歯が痛いともう何も手がつけられないほど歯が気になってしょうがない。そんな感じ。いつも自動車で通ってる道を歩いて移動すると「こんなに遠かったのか」って気分になる。あーちょっと話しがずれた。でもまったく無関係ってわけじゃない。喉が渇いたので缶ジュースを飲む。その缶ジュースの一本分の値段、たったの100円ちょっとだけど、子供のころはその100円が貴重だったよね。どんどん話が遠ざかる。近所のスーパーでは100円くらいの缶ジュースが、自販機だと120円で売ってる。なんなんだこの価格差は。でも砂漠のど真ん中で喉がカラカラに渇いてるときに目の前に自販機がおいてあったら、たとえ缶ジュース1本500円だとしても救いの手のように感じる。物質的に考えればスーパーの100円缶ジュースも砂漠の500円缶ジュースも同じものなんだけど、ありがたみは砂漠の缶ジュースの方が圧倒的に大きい。同じものでも、場所によって価値が違う。そこにビジネスが生まれるわけだ。完全には効率化されてない、無駄な部分。そういうところに何たらかんたらでうんたらかんたらで斯く斯く然々、もう何が言いたいのか自分でもわけがわからない。考えがまとまらない。眠い。寝る。